
元ト昌平坂聖堂ニ於テ博覧会図
作者名一景
時期明治5年3月(3,1872)
- 明治5年3月10日、文部省博物局は、集められた各地方の物産を、昌平坂聖堂に陳列、一般に公開した。当時の達文に「皇国従来博覧会ノ挙アラザルニ因リ」とあり、日本における博覧会の始めといわれている。
- 明治の殖産興業に大きな貢献をし、文明開化の一翼をになった博覧会も、最初は、珍品奇物・骨董品の展示会であった。絵の中央に見える、名古屋城の金の鯱ほこ・大和国のサンショウ魚が、最も人気のあった出品物という。
- 「拝見ハ一日大略千人ヲ限リ拝見ノ切手相渡候」入場は1日約1000人に制限されたが、20日間の会期を4月末日まで30日間延長するほど、大盛況であった。